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膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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“漢”と書いて”おとこ”と読む
そんな人に憧れる(性別問わず)と、かれこれ20年以上書き続けております。
高じて書道家の宗胤院 宮下先生に書いていただいてしまいました。
 ※名前は加工して消しておりますが

さて、この文字だからいうわけでもありませんが…

長く付き合う事となる病とは闘うものではない、というような話をしているので稀に誤解がありますが、自分の人生は戦わなければいけないと考えています。

疲れた時は休んだり、時には逃げる事だって、人に頼ったり甘えたりする事も決して悪い事ではない。
でもそれは長い戦いの中の戦略、作戦のようなもので、いつかどこかで向き合って奮い立つべき時は必ずあるはず。

年々言葉だけは耳障りよく優しくなっています。でもだからこそ、最後はやっぱり自分自身。
甘い言葉の洪水に流されるままでは何者にもなれません。

病気と向き合うというのは即ち自己と向き合う事です。
こういう時間を持てる状況ならば、大切にしていきましょう。

ただ、自分と向き合う、自分との戦いという言葉から勘違いしがちですが、
一人だけでやらないといけないわけではないのですよね。
色々な人に助けてもらったり、気付かせてもらったり、知恵を借りたりして、力を蓄えているのではないでしょうか。

だから自分を、あわよくばどここの誰かを力付けたりできないものかと、こんな事を書いてみたりもするのです。
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患者界隈では話題沸騰?
にじいろカルテ。
主人公が皮膚筋炎(多発性近年)なのですね。

自分の知る限り、ドラマとかで病名はっきり出たのは初めてではないでしょうか。
そしてその反響で色々な場で話題になるのも。
WEBサイト作ったりしてコミュニティを形成していた(もう20年以上経つのか…)人間からすると、とても感慨深い出来事でした。

ドラマでの扱われ方、それを解説する関連サイト、見ていて言いたい事が色々ある方もいらっしゃるかもしれません。
フィクションで難病が扱われると「(自分はこうだから)そんな事はありえない!」という見方をされているのをよく見かけますが、症状も含めてわけがわからないから難病であって。
自分自身が固定観念でもって見られるのは、きっと嫌ですよね。
出鱈目な情報で拡散されるのは論外だとしても、話題に上るきっかけはもらえたという事で、ストレスを溜めない見方をしてほしいと感じます。

とはいえ良い扱われ方をしたら、これからはどんな病気か聞かれた時に「あのドラマの主人からと同じ」という心身ともに負担の少ない説明ができちゃいますので、そんな事もちゃっかり期待しています。


ドラマと言えば…
「俺の家の話」で、歩けるようになって散歩に行こうとする父親が皆に無理するなと言われるシーンで、
「無理しなきゃ二度と能舞台立てないだろ」
と返すシーンがとても印象に残っておりまして。
次回にその話をします。

小学生の頃から20歳頃まで、文章(ゲームのレビュー)や、ちょっとしたネタをよく雑誌に載せてもらっていました。


"文章を書くのが好きなのですか?"

近年は更新頻度も下がって言われることがなくなりましたが、ウェブサイト運営やり始めた頃によく言われた事です。
日記を書く習慣なんてなかったし、メモや手帳も書けない、書かない。
そもそも理系人間だったので文章は縁が無かったと回答していました。

ごめんなさい。めっちゃ嘘つきですね。
いや、でも本当に記憶からすっぽり抜け落ちていたのですよ。
昨年くらいにふと思い出した、というか文章を書くという事と結びついたのです。


初掲載は12歳。病気になってからはそもそも読み書きがほとんどできなかったので、3年は離れていましたが、再開後も掲載していただいていました。
20歳そこそこまででしょうか。

月に多くても3通程度の投稿だったので、いわゆる投稿職人と呼ばれる方々と比較するのはおこがましいですが、掲載率はかなり高かったかと思います。
少なくとも3社にはお世話になりました。

景品のためにやっていたので、自分の身になるとか考えた事もなかったのかもしれませんね。
出版社の方と電話で話す事もあったり、今思えば貴重な経験をしていました。

何より、自分の文書が他人に読まれる、人にものを伝えるという事で、客観的に意識するのをこの頃に経験できたのは、ウェブサイト作成はもちろん、働くうえにおいても、とても役に立ってきたように思います。

物事どんな事であれ糧になる的な考えしているくせに、何故こんな典型的な事例を忘れていたのか…不覚でございます。
10代の頃からおっさん顔だったので、なんで少年なんて題名つけたのかも不覚でございます。

ちなみに、批評が良い趣味かどうか、という議論もありそうですが、批評をする事が目的になってしまわず、その先に何を見出すかが大事だと個人的には考えています。
話が長くなるのでそのあたりは別の機会に。


おまけ。
ネット上でもあまり晒していない本名を、うっかり晒していたことは何度かありました…
転じてゲームのクレジットに名前が載ったものもあったりします。
暇だったら見つけてみてくださいませ。
(エンドロールなので8:30以降)
レディー・ガガさん、線維筋痛症を公表 「当面は休養」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK9G2Q3ZK9GUHBI00K.html

ネット上でこういう事を書いたりしている以上、線維筋痛症の方とのつながりも多々ございます。
ガガさんの行動に対し、当然ご本人の苦しみを踏まえたうえで、少しでも良い方向へと進まないかの期待が高まるのも事実。

国や文化が違えども、記事内で引用されている言葉すべて、想いは同じ。
とSNSでは書きましたが、具体的に。
とても今更なことかもしれませんが、こういう事があると初心に返って思うこと。


「苦しんでいる人たちはひとりではない。痛みがあっても私のように歌ったり踊ったりできることを知ってほしい」

自分がインターネット上で活動を始めたのがまさにこれ。
今働けているのもこの想いの延長と言えなくもない。

普通に働いているものだから、同じような病気の人からも過去からずっと軽症だと誤解される事もありますが…
症状自慢はするものではないものの、結構な重症だったと思います。
十代で寝たきりな時点で大概ですが、唾も誤嚥するから飲めない(誤って飲み込むと気管に入って文字通り死にそうになる)、喋る事もできない、指がかろうじて動かせる程度。
そこまで筋肉落ちた人は滅多に聞かないような。

それが日常生活送れるようになりましたよ、というのが始まりで。
歩けるようになって、少しだけでも走れるようになって。
そこからさらに、働けるようになって、家もまぁ持てて、夏フェス行ってみたりなんかもして、現在もひたすら前へ進んでいるつもりです。

これは病気自慢でも成り上がり自慢でもなく、ただただ同じ境遇の人に知ってほしいからなのです。
可能性はいくらでもあるのだと。


「この病気への意識を高め、同じ病気の人たちとつながりたい」
「もっと多くの人が病気を公表することで、何が助けになり、何がつらいのかを語り合い、助け合えるようにと祈っています」


前項と動機が重複する部分は省略します。
これは本当に、普通に生活していたらきっと繋がらない。
患者数が少ないだけでなく、公表のハードルが高い。

理由として、実際に症状はとても辛いものであるのは間違いないですが、それと同じくらい辛いのが周囲に理解されにくいこと。

こと難病においては、見た目には表れないものもたくさんあります。
痛いだけ、しんどいだけ、だけと書くと大したことがないように見えてしまう。
それがどれだけ強いものであろうと。

これは根性論や精神論の根強い日本においては特に当てはまりますが、ただサボっている、甘えていると受け取られる事は少なくないのです。
さらには病気になった事自体、自己責任という形で責められる。
悪意はない事も多いから厄介なもので。
一緒に過ごす時間が長く、もっともわかってもらいたいはずの家族にすらも、(相手の事情もあれど)見放されたように感じる事も少なくない。

また、こういう事を自ら話すと変人扱いされがち。
ここへリンクしているSNSなんかは実名でもやっているわりに、自分の口から公表するとなると今でも抵抗を感じます。

それくらい恐怖心はあるのです。特に若い頃は。


理解してもらえない辛さ、病気でなくても誰でも経験はあるはず。
これがお互いの経験を踏まえて理解してもらえる、理解できるというのがとても貴重なのです。
それは決して後ろ向きな傷の舐め合いなどではなく、世界が開かれたかのような感覚。
珍しく大袈裟な表現使ってますが、決して誇張ではないのです。
例えがやや陳腐になるけど、なかなかわかってもらえないマニアックな趣味を共有できる友人がいたら楽しい、とか、本当にそんな感じの延長。

それを伝えたい、知ってほしい、感じてほしい。だからこういった場で公開しています。
でもこの想いは自分が特別というわけではなく、記事のレディー・ガガさん然り、結構皆さん共通する事なのですよね。
だからこそコミュニティが成立するわけで。
(しかしインターネットの情報や交流のあり方というものも随分変わってきまして。
そのあたりはまた別の機会に…)

ちょっとひどい長文乱文になってきましたし、まとまらないのでこのへんで。
少しでも何かが良い方向に変われば、と考え日々生きています。
この先も自分が生きるテーマとして、少しずつでも何かしていきたいと思います。
昔から陥りがちな状況。

ただでさえやる事が多い気がする状況であってもさらに色々やろうとしがち。
むしろそういう時こそ、より走りがち。
忙しいとは思わないけど、ある意味自分が招いている事なんです。

でも、
思い立ったら行動しないと気が済まないから仕方ない。
良くない現状は何とかしたくなるから仕方ない。
はしゃぐ時は後悔ないように思い切りたくなるから仕方ない。
なるべく全力で生きたいから仕方ない。

仕方ない、使いがちながら、諦めて腐るのは嫌いですが、こういう使い方ならアリな気がしてきました。
自分に言い聞かせるつもりでまだまだやります。

どう過ごそうと自分自身の時間。
楽しく激しく、充実していると思えるかは自分次第の部分もあるという事で。

なんか大層な事書いていますが、オンオフの差が激しいだけと思います。
力も体力もないにフルマラソン全力疾走はできませんし、自分のことはよくわかっているつもりなので、無茶はしても無理はしない。
ちなみにオフ時は堕落しきってます。体積大きくても気配も消えてます。
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モ 氏
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自己紹介:
1995年16歳で皮膚筋炎発病。
今に至る。
略しすぎなので詳細は自サイトにて。

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旧エブリデイ(~2006年10月)

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