膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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レディー・ガガさん、線維筋痛症を公表 「当面は休養」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASK9G2Q3ZK9GUHBI00K.html
ネット上でこういう事を書いたりしている以上、線維筋痛症の方とのつながりも多々ございます。
ガガさんの行動に対し、当然ご本人の苦しみを踏まえたうえで、少しでも良い方向へと進まないかの期待が高まるのも事実。
国や文化が違えども、記事内で引用されている言葉すべて、想いは同じ。
とSNSでは書きましたが、具体的に。
とても今更なことかもしれませんが、こういう事があると初心に返って思うこと。
「苦しんでいる人たちはひとりではない。痛みがあっても私のように歌ったり踊ったりできることを知ってほしい」
自分がインターネット上で活動を始めたのがまさにこれ。
今働けているのもこの想いの延長と言えなくもない。
普通に働いているものだから、同じような病気の人からも過去からずっと軽症だと誤解される事もありますが…
症状自慢はするものではないものの、結構な重症だったと思います。
十代で寝たきりな時点で大概ですが、唾も誤嚥するから飲めない(誤って飲み込むと気管に入って文字通り死にそうになる)、喋る事もできない、指がかろうじて動かせる程度。
そこまで筋肉落ちた人は滅多に聞かないような。
それが日常生活送れるようになりましたよ、というのが始まりで。
歩けるようになって、少しだけでも走れるようになって。
そこからさらに、働けるようになって、家もまぁ持てて、夏フェス行ってみたりなんかもして、現在もひたすら前へ進んでいるつもりです。
これは病気自慢でも成り上がり自慢でもなく、ただただ同じ境遇の人に知ってほしいからなのです。
可能性はいくらでもあるのだと。
「この病気への意識を高め、同じ病気の人たちとつながりたい」
「もっと多くの人が病気を公表することで、何が助けになり、何がつらいのかを語り合い、助け合えるようにと祈っています」
前項と動機が重複する部分は省略します。
これは本当に、普通に生活していたらきっと繋がらない。
患者数が少ないだけでなく、公表のハードルが高い。
理由として、実際に症状はとても辛いものであるのは間違いないですが、それと同じくらい辛いのが周囲に理解されにくいこと。
こと難病においては、見た目には表れないものもたくさんあります。
痛いだけ、しんどいだけ、だけと書くと大したことがないように見えてしまう。
それがどれだけ強いものであろうと。
これは根性論や精神論の根強い日本においては特に当てはまりますが、ただサボっている、甘えていると受け取られる事は少なくないのです。
さらには病気になった事自体、自己責任という形で責められる。
悪意はない事も多いから厄介なもので。
一緒に過ごす時間が長く、もっともわかってもらいたいはずの家族にすらも、(相手の事情もあれど)見放されたように感じる事も少なくない。
また、こういう事を自ら話すと変人扱いされがち。
ここへリンクしているSNSなんかは実名でもやっているわりに、自分の口から公表するとなると今でも抵抗を感じます。
それくらい恐怖心はあるのです。特に若い頃は。
理解してもらえない辛さ、病気でなくても誰でも経験はあるはず。
これがお互いの経験を踏まえて理解してもらえる、理解できるというのがとても貴重なのです。
それは決して後ろ向きな傷の舐め合いなどではなく、世界が開かれたかのような感覚。
珍しく大袈裟な表現使ってますが、決して誇張ではないのです。
例えがやや陳腐になるけど、なかなかわかってもらえないマニアックな趣味を共有できる友人がいたら楽しい、とか、本当にそんな感じの延長。
それを伝えたい、知ってほしい、感じてほしい。だからこういった場で公開しています。
でもこの想いは自分が特別というわけではなく、記事のレディー・ガガさん然り、結構皆さん共通する事なのですよね。
だからこそコミュニティが成立するわけで。
(しかしインターネットの情報や交流のあり方というものも随分変わってきまして。
そのあたりはまた別の機会に…)
ちょっとひどい長文乱文になってきましたし、まとまらないのでこのへんで。
少しでも何かが良い方向に変われば、と考え日々生きています。
この先も自分が生きるテーマとして、少しずつでも何かしていきたいと思います。
ネット上でこういう事を書いたりしている以上、線維筋痛症の方とのつながりも多々ございます。
ガガさんの行動に対し、当然ご本人の苦しみを踏まえたうえで、少しでも良い方向へと進まないかの期待が高まるのも事実。
国や文化が違えども、記事内で引用されている言葉すべて、想いは同じ。
とSNSでは書きましたが、具体的に。
とても今更なことかもしれませんが、こういう事があると初心に返って思うこと。
「苦しんでいる人たちはひとりではない。痛みがあっても私のように歌ったり踊ったりできることを知ってほしい」
自分がインターネット上で活動を始めたのがまさにこれ。
今働けているのもこの想いの延長と言えなくもない。
普通に働いているものだから、同じような病気の人からも過去からずっと軽症だと誤解される事もありますが…
症状自慢はするものではないものの、結構な重症だったと思います。
十代で寝たきりな時点で大概ですが、唾も誤嚥するから飲めない(誤って飲み込むと気管に入って文字通り死にそうになる)、喋る事もできない、指がかろうじて動かせる程度。
そこまで筋肉落ちた人は滅多に聞かないような。
それが日常生活送れるようになりましたよ、というのが始まりで。
歩けるようになって、少しだけでも走れるようになって。
そこからさらに、働けるようになって、家もまぁ持てて、夏フェス行ってみたりなんかもして、現在もひたすら前へ進んでいるつもりです。
これは病気自慢でも成り上がり自慢でもなく、ただただ同じ境遇の人に知ってほしいからなのです。
可能性はいくらでもあるのだと。
「この病気への意識を高め、同じ病気の人たちとつながりたい」
「もっと多くの人が病気を公表することで、何が助けになり、何がつらいのかを語り合い、助け合えるようにと祈っています」
前項と動機が重複する部分は省略します。
これは本当に、普通に生活していたらきっと繋がらない。
患者数が少ないだけでなく、公表のハードルが高い。
理由として、実際に症状はとても辛いものであるのは間違いないですが、それと同じくらい辛いのが周囲に理解されにくいこと。
こと難病においては、見た目には表れないものもたくさんあります。
痛いだけ、しんどいだけ、だけと書くと大したことがないように見えてしまう。
それがどれだけ強いものであろうと。
これは根性論や精神論の根強い日本においては特に当てはまりますが、ただサボっている、甘えていると受け取られる事は少なくないのです。
さらには病気になった事自体、自己責任という形で責められる。
悪意はない事も多いから厄介なもので。
一緒に過ごす時間が長く、もっともわかってもらいたいはずの家族にすらも、(相手の事情もあれど)見放されたように感じる事も少なくない。
また、こういう事を自ら話すと変人扱いされがち。
ここへリンクしているSNSなんかは実名でもやっているわりに、自分の口から公表するとなると今でも抵抗を感じます。
それくらい恐怖心はあるのです。特に若い頃は。
理解してもらえない辛さ、病気でなくても誰でも経験はあるはず。
これがお互いの経験を踏まえて理解してもらえる、理解できるというのがとても貴重なのです。
それは決して後ろ向きな傷の舐め合いなどではなく、世界が開かれたかのような感覚。
珍しく大袈裟な表現使ってますが、決して誇張ではないのです。
例えがやや陳腐になるけど、なかなかわかってもらえないマニアックな趣味を共有できる友人がいたら楽しい、とか、本当にそんな感じの延長。
それを伝えたい、知ってほしい、感じてほしい。だからこういった場で公開しています。
でもこの想いは自分が特別というわけではなく、記事のレディー・ガガさん然り、結構皆さん共通する事なのですよね。
だからこそコミュニティが成立するわけで。
(しかしインターネットの情報や交流のあり方というものも随分変わってきまして。
そのあたりはまた別の機会に…)
ちょっとひどい長文乱文になってきましたし、まとまらないのでこのへんで。
少しでも何かが良い方向に変われば、と考え日々生きています。
この先も自分が生きるテーマとして、少しずつでも何かしていきたいと思います。
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