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膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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今回の曲:ぶっ生き返す/マキシマム ザ ホルモン

大袈裟な題名ですれど、自分の第二の人生(今の事)はこれから始まりました。
これを公開するのは初めてですね。

ダンベル。重さは1kg。一個。ほぼCDサイズ。
最初の入院時(1996年)に同部屋の方から「もう使わないから」と譲っていただいたもの。
自分のリハビリはここから始まりました。

今ではほとんど使い道が無い物ですけど、捨てられない大事な物です。
因みにボロボロなのは、自分が使いこんだからではなくて元から。
正直、そんなにたくさん使ったわけではないです。
嫌だったから、とかじゃないですよ。

やっていた運動は



こうやるだけ。
こんなにも上がらなかったし、あまり握ってもいられなかったです。

キツいからやりたくなかったけど、やらねば生きる道は開けない。
たった1kgが体にも心にもどれだけ重くのしかかった事か。

後から考えてみると、本格的に始まったリハビリの方が比べ物にならない程キツかったのですけど、
同時に楽しさや喜びを感じていたから、辛さはあまりは無かったです。



これを譲ってくださった方は、同部屋の患者では一番お世話になった人。
体験記にも書いた、リハビリが進むのを自分の事のように喜んでくれた人。
完全に寝たきりで寝返りを打つ事も腕を動かす事も出来ない時から、
少しだけ歩けるようになった時まで一緒に過ごしていたのもあって、
事あるごとに「モーガン君の姿を見ていると励まされる」と看護婦さんなんかに話していて。
そんな言葉に自分もまた励まされていたのでした。
直接も言ってくれたけど、最初はこっそり言っていて、それがかえって嬉しかったり。


少しだけ歩けるようになった時に、当時から無謀気味だった自分は、
独力でトイレまで行く事を思いついてフラフラと病室を出た事があったのです。
その時大慌てで看護婦さんを呼びに行かれたのが印象に残っています。
当然自分は看護婦さんに怒られましたが。


あの人は今、元気なのかな。
そして今の自分はあの人と会って恥ずかしくない人間なのでしょうか。
うーむ。
とにかくがむしゃらだったからなぁ、当時は。
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モ 氏
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1995年16歳で皮膚筋炎発病。
今に至る。
略しすぎなので詳細は自サイトにて。

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