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膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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日テレ24時間、ダウン症を持つ少女が「PERFECT HUMAN」を踊る企画が波紋

ちなみに自分は24時間テレビは見ません。
という前提で。

この記事が扱っている批判は確かにどうなんでしょうね。取り沙汰されている歌詞の部分なんて、障害者ならなおさら実感している事ではないのですかね。
もちろん、出演者の聞いていた番組の意図と実際の放送での使われ方が違っていたら問題でしょうが、さすがにどういう番組内容か知らずに出演する人がいるような知名度の番組ではないはず。

現実・事実があるのに上辺で平等だなんてのほほんと言われる方が気分が悪い事もあるのでは。
かつてミゼットプロレスやサーカスなどを綺麗事ならべて縮小させた事で、結果的に職を奪ったのと似た感覚というか。

ただ、同じ記事でバリバラの事にも触れられていますが、笑えない、楽しめないという意見はあって当然なんですよね。
無理して笑うのは、その時点で平等とはほど遠く。

笑わせにきているなら、面白いのか面白くないのか、それだけで良いのではないのかな、と。
見せる方も見る方も。
ただ、そこ(前提や違和感なく見られるようになる)に行き着くために続けていく事か大事なのだと思います。
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ゴールがない世界でずっとやり続けられるなんて、最高に幸せじゃないすか。

自分の持っているような難病は無期懲役に例えられたり、ゴールが(見え)ないなんてよく聞く話です。
終わりがないから、いつまでも辛い、しんどい。
でもそれは必ずしも悲観する事とは限らないのではないか、というモヤモヤする気持ちをすっきりさせてくれる台詞。

人によって「闘う」「向き合う」「付き合う」色々なスタンスはあるけれど、ずっとそうしていく対象が明確にあるという事は、ただ漠然と時間を過ごしているより、生きている、ような気はしませんか。


直前の
思い切り思い切って、毎日毎日出し切らないと。
という台詞も然り。

自分の場合は明確な目標があってそうしているわけではないけど、少なくとも目の前にある事くらいは、適当にこなしてやり過ごすような事をするよりは、真面目に取り組みたい。せめて考えたいと。
そんな考えをより深く根付かせてくれるきっかけになったと思えば、ゴールが見えない世界に飛び込む事になったのは悪くない。


というわけで、引用は『BLUE GIANT』。とにかく熱い作品です。
音楽(ジャズ)漫画。漫画だから当然音は出ないですが、聞こえてきそうなくらいすごく伝わってくるものがある。
言葉では表現しづらいですが、まさにそういうものを表現してくれていると感じます。
音楽もジャズもわからなくても感じるものはあるはず。


何事でも、過去との比較や思い出話ばかりで進歩がない、今どうすべきかを考えないのような方はうんざりしてしまいます。

我々のような状況の場合、出来なくなった事や失ったものに捉われず、新しい事や得たものに目を向ける。
前向きとはそういう事なのかもしれません。

でも、たまには失ったものにも目を向けてあげてほしいと思います。
失う前の事や、失ったという経験、それ自体も自身を成す要素のはず。

否定までする事ではない、と、おそらく自身の中で前向きであろうと頑なな方を見ると感じる事があります。

自分の持論ですが、そもそも前とはどこなのかと。
各々が向いている方向が前で良いのではないかなぁ。

ここまで書いてみて、ことゲームについては8bit16bit最高!な懐古主義な自分が書いていても説得力がない事に気がつきました。
というわけでこのへんで。

前回触れた通り、酒井若菜さんの本を読んでいます。
これは本人の言どおり、病気の告白本などの類ではなく、あくまで芸能人の対談・エッセイです。
書かれている内容は誰にでも通じる事も多いですが、きっと対談相手だったりその時々の芸能界の状況だったりがわかっていた方が理解しやすくより楽しめるのでは。
長らくテレビっ子だった自分はそのへんぬかりなく。

テレビっ子、なんて言ってみたものの、元々はテレビ番組見るくらいならテレビゲームというくらいで、
芸能関係なんて興味もなく疎かったし、流行していたテレビドラマも見た事がないような人間でした。

膠原病に罹患して、できることは確実に減ったわけで、人生の選択肢は狭まったのかもしれません。
でも世界は広がったように感じます。
今まで認識できなかった幸福な事が見えるようになった、とかよく言われる抽象的な事ばかりではなく。
それが例えば、テレビっ子になった事。

身動き取れなくなった事で唯一の外との繋がりで見るようになったテレビ。
元々凝り性(オタク気質ともいう)な所があるからか、テレビ雑誌も番組表以外の隅々むで読み漁り、いつの間にか自分が産まれる前のテレビ・芸能の話までできるようになっていました。

健康だろうがそうでなかろうが人生の時間は有限で、あらゆる体験ができるわけないのです。
どんな人生だろうが、同じ時間を生きていれば、触れられるものの総量は同じはず。
できなくなった事にとらわれ続けるより、できる事を模索した方が、きっと良い。
それは決して、できなくなった事を諦めるのではなくて、むしろ諦めず貪欲に追求していく礎になり得る事ではないかな。

例えば

テレビ見る → 音楽知る → ライブ行きたい → リハビリ頑張る → 働けるようになる → 油田掘り当てて遊んで暮らす(予定)

みたいな。
身体動かすのが嫌いだったのに、スポーツ鑑賞するうちに好きになりましたし、
文章書くのも嫌いで日記なんて宿題でも書かなかったのに、こんなの書くようになってしまって、それがそれなりに実生活にも活きてますし。

こういう人生だから知り合った人、あれこれここで書いているから出会った人、そんな繋がりもですよね。

だから物事も人も食わず嫌いはしない。頭ごなしに否定もしない。を、心がけているつもりです。
それでもやっぱり嫌な事は嫌なんですけど。そんな程度な人間です。

世界が広がるより話が広がり…もとい散らかってきたので、今回はこのへんで。

早いもので、健常者でなくなって20年が過ぎました。

4年前、病人人生の方が長くなったタイミングがひとつの節目。
ちょうど職場の環境が変わったタイミングでした。

社会復帰(デビュー)した前4年と比べたら、ある意味この4年は中学生以来の集団生活復帰と言えなくはないです。

それまでの仕事や私生活は、様々な形はあれどつまるところ個対個という事がほとんどだったのですが、非常に多くの人と関わりながら過ごすことになりました。

仕事は言わずもがな、遊びもですね。
休みの日にもBBQやら川下りやら音楽フェスやら人の家でダラダラやら。
お付き合いいただける方々のおかげさまです。
学生みたいな感じかもしれませんが、そんな時代なかったからええやん、と。

こういうモチベーションって本当に大切だと思っています。
過去何度も触れてきましたが、今の自分のあるのはそういう動機もあったのが大きいのですから。
スポーツしたいから、音楽のライブへ行きたいから、格闘技イベントのため遠征したいから、柔術やりたいから…などなどでリハビリも頑張れるわけです。

ネガティブになる事も必要な時はあると思っていますが、リハビリなんて面白くない事をする時はポジティブに楽しむくらいが良いのです、きっと。

リハビリだけじゃない、仕事も遊びも全力で、かつ、楽しんで。
一度の人生、いつ何ができなくなるかわからないのに手を抜くなんてとんでもない!
物事を斜めに見てきちんと受け止めないのは勿体ない!
無理だ無茶だと止められようと、自分なりにギリギリを見極めて甘えすぎずに走ってきたからこそ人並みの生活ができるようになったと思っています。
拾い物のような人生、悔いのないよう生きていきたいです。

30代半ばも過ぎましたが、体も気力もまだまだこれからのつもりでいます。
新しい事にも挑戦していきたいですなぁ。
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プロフィール
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モ 氏
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自己紹介:
1995年16歳で皮膚筋炎発病。
今に至る。
略しすぎなので詳細は自サイトにて。

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旧エブリデイ(~2006年10月)

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