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膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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先週の話ですが、寝屋川野外活動センターでBBQ。
今年はずっと身体は低調ですが、イベントがあるタイミングには体調の山を持ってこられています。

運が良いのか、気持ちの問題か。

当たり前ですが、こういう身体である以上、身体との付き合い方は人並み以上に注意しなければなりません。
「何事も全力で」というのはあくまで心構えの話で、ペース配分が大事。あまり好きではないし苦手ですが。

好調の波を必要なタイミングに持ってくる、とは言葉だけ見ればスポーツ選手かのようですが、時にはスポーツ選手の調整の仕方が参考になったりもするものです。
勿論そのままでは駄目なので、自身の状況にあった方法を模索せねばなりません。
(なので具体的手法は参考にならないので割愛)

スポーツ選手なんて縁遠いようで大袈裟にも見えますが、ハンデがあるのであれば日常生活から一歩踏み出すのもそれくらい必要だと考えます。最低限意識はしていきたい。

そこまで含めて、自分がよく使う「これをして何かあっても後悔はしない」という気持ちで遊びにも向き合っています。


などとつらつら書いていますが、調子に乗りすぎて反動くらったり、さらには疲れてすぐ眠ってしまって夜の薬を飲み忘れて追い討ちをかけるまでがセットな自分です。


#補足というか独り言
最後のは自業自得の冗談半分ですが、後半は自分への戒めのようなものです。
このあたり書き出すと長くなるのでいつかの機会に。
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発想の転換シリーズ。などと最近自分でも思うようになってきました。

健康だったら格闘技してみたかったとか、健康だったら楽器したかったとか、そのように考える事はあります。
しかし、健康だったとしたら、そもそも好きであっても「やってみたい」という考えにまで至らなかった可能性が高いようにも思いまして。

で、あれば。
結果的に様々な事に前向き、積極的に興味が持てるようになった事は良かったのではないかと思う次第で。

貴船川床にしろBBQにしろライブにしろ、健康だったら、そもそもかなりのインドア志向だった自分が「やってみたい」になっていたか。
「ないものねだり」の力と、壁や障害に対して内心ワクワクするどこかの戦闘民族みたいな性格と、そんな要素があっての実現なように思うのですよね。

「ないものねだり」にしても、悪い事のように言われがちですけど、それが力を生み出すなら良いのではないですかね。

もちろん、罹患時子どもだったわけでどうなってたかなんかわかりませんし、自分への言い訳なんて捉え方もできるかもしれませんが、それはそれで結構。

「病は気から」を良いように捉えて繋げていくか、悪いように捉えてさらに落ち込んでしまうか。
「(病気と)向き合う、付き合う」というのはこういう事の積み重ねも一つの形だと思います。
考える事は大事。
考える事を放棄したり諦める事は嫌いです。
まぁ考えるくらいしかできなかった期間もそれなりにあったからかもしれませんが。

楽天的で深く考えないからやってこれたと思っているので矛盾しているようですが、それは予め悪い結果を把握はしても、悪い結果が出たその先を考えないという事です。
勢いだけで進む事もありますが、考えていないのではなくて、考えた結果だったり、考えたうえで考えても仕方ないと判断したからだったり。

要するにリスクを把握する事は大切でも、悪い方向へ仮定に仮定を積み重ねるような話には意味を感じない。
悪い結果が出てしまったら、その時にその時の状況を踏まえて考えれば良い。というかそのようにすべきで。
基本的に良い方向へ向かうような仮定をして、駄目な時は軌道修正して進めば良いのではないでしょうか。
病気というマイナス要素の強い単語からは結び付けにくいかもしれませんが、よく言われる「成功するイメージ」というものだと思います。

偉そうな事書いているような気がしますが、我々のようなレアゲッターは特に、病気になる前から病気になったらどうするか考えている人なんておそらくあまりいない。「病気になる前から病気になった時の事を考えてなかったからこんな事に!」なんて書いていて訳の分からなくなる後悔をする人も多分いない。

要するに誰しもが出来ているから今居るわけで。

アントニオ猪木的に「出る前に負ける事を考えるバカいるかよ!」ってやつです。
病人であろうと病人らしく振る舞う必要などなくて、ニコニコしていたり、明るく楽しくやっていても良い、と当然のごとく思っていますが、実際のところ難しく感じる場面は少なくはないです。
そう振る舞うと元気と思われたり、困る事も出てきたり。

人と話せば笑顔にもなりますし、遠慮や建前も使うのですけどね。
長い付き合いのものですし、ずつと落ち込み続けるとか、あまり気持ちが振り回されすぎたら保たない。

だからといって何も思う事がないわけでもなく、結構落ち込んでいたりもするものなのです。

でもそれは特別な事でもなく、病気があろうとなかろうと誰だろうとある事ですよね。
財布を無くして落ち込んでいても、そんなオーラを全面的に放って過ごす人は多分そんなに居ない。
皆一生懸命過ごしている、というだけの事なんだと考えています。


病気起因で何か悩む事があったり壁があったりする場合、それは病気が無くても起こりうる事でないのかどうか、と考えてみる。
病気と向き合う事、というのは存在を認める事のみならず、何もかも病気のせいにせず、あくまで自身の中の一つの要素であるというところまで認識する事ではないかと考えます。
容易な事ではなくても、潰れないためにもそう意識する事は大事かなと。

極端な例をあげていますが、我慢せねばならないのではなく、自衛するために捉え方を変えてみる、という話をしたいので誤解なきよう。
結構前に遡ってしまい今更なのですが、白猫プロジェクトの壬生猫 京都市中見廻りラリー なるものへ行ってきました。
(8月で終了しています)

過去そこそこのヘビーゲーマーでしたが、この手のリアルイベントは初めて。
さらには京都で生まれ育ったくせに、嵐電も映画村も壬生寺も始めてだったので、色々楽しめました。


音楽でもゲームでも、身体が動かなくても楽しめたものの、ライブやイベントとなると行けるようになるまで結構な時間と覚悟が必要です。

標題としましたリアルイベント(所謂飲み会やお出かけ程度から)参加するにあたり心がけている事。

1.最低限、身体の事で迷惑をかけないコンディション
2.参加した事で調子が悪くなろうと後悔しない
3.とにかく楽しむ姿勢で臨む


以上を満たせば結構な無理もしてきた気もします。
何度か書いてきたように、(人にはお勧めしないけど)その無理を重ねて出来る事が増えてきましたが、それは2と3、楽しめたから、気持ちが前に出ていたから乗り越えられたと。
やはり気持ち、気概は大事。

今年調子がいまいちな中これを信条に色々楽しんでまいりましたが、ちょっと無理が重なりすぎたのか、1を満たせない事が続いたので充電が必要かもしれませんね。
※今の体調と当イベントは無関係です 念のため


というわけでいつかは柔術だ、という事を何年言い続けているかわかりませんが、まだまだ夢には見続けたいと思います。

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プロフィール
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モ 氏
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自己紹介:
1995年16歳で皮膚筋炎発病。
今に至る。
略しすぎなので詳細は自サイトにて。

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旧エブリデイ(~2006年10月)

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