膠原病・筋炎患者の日記 というよりは雑記
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今回の曲:さすらい/奥田民生
昨日放送されていたドラマ「壊れた脳 生存する知」後半40分程だけですが見ました。
最後に原作の著者であり主人公である山田規畝子さんご本人が出てきて話しておられた言葉がズドンときました。
一字一句までは正確ではないかもですが
人間は生きる方へ生きる方へ進むようにプログラムされている自分があれこれ書くとチープになっちゃうかもしれないけど、
死ぬのは、急がなくても、ちゃんと死ぬから大丈夫
“死”をはっきり伝えられているのに、いや、だからこそ、そこに大きな安心感。
そうか、急がなくてもいいんだ。
どこか許されたような、そんな感じを受けました。
寝た切りで腕すら動かなくて、飯はもちろん水も容易には飲めず、唾で窒息するから眠れない。
吐き出す事も出来ないからその都度喉を吸引してもらわないといけない。
(死にたいとは思わなかったけど)このまま死ぬかな、死んだ方が楽だ、なんて思った事もありました。
それを越えても、内外にガタのきていた体に、
30まで生きられれば御の字かな、と感じつつ10代は駆けてきました。
こういう事考えている人間に限って長生きする、と調子いい事も考えてましたが(笑)
でも、今こうしてのほほんと生きてますよ、自分。
本当に、生きる方向に進んでるじゃないですか。
焦らなくても、生きているんだから、生きましょう。
理由なんてそれで良し。意味やら意義やら付属品は自ずと付いてきますよね。
自分なんかより、今本当に辛い状態にある方にこそ、この言葉が届いていると良いなぁ。
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今回の曲:SAMURAI/越中詩郎のテーマ
11歳の時、子供運賃を支払おうとしたらバスの運転手に確認され14歳の時、病院で社会人に間違われ
19歳の時、「お子さんは小学生ですか?」と結婚して子供が居る事まで前提に話しかけられ
21歳の時、同い年の友人と一緒に歩いていたら、彼の父親に間違われ
ネタちゃうよ って言わなくても疑われすらしない
そんな人生を歩んできた自分ですが、
25を越えたあたりから、たまに若く間違われる事もでてきました。
ネタちゃうよ って言っても信じてもらえなさそうだけど
モニターの前の全国の老け顔に悩む良い子達、老け顔にも未来はあるぞ!
えー、しかし先日30代後半の方に同世代として話しかけられました。
未来はあるとか適当な事書いてごめんなさい。
老け顔というより年齢不詳なんですよね。
そういう事にしときましょう。してください。
今回の曲:クラスメイト/コーヒーカラー
昨年末あたりからネット上での活動を少しアクティブにしてます。ここ数年大人しくなる一方だったので。
日記等も時間と体調に余裕のある時くらいもう少し頑張ろうと。
そんな事を含めて、今年はテンションを少し上げていこう、という事を元旦に書いてみました。
その成果か、ネット上に限っても色々と良い事はありましたよ。
昔のクラスメイトに再会したりとか、
若い世代の患者さんにもお話を伺える機会が増えたりとか。
色々な刺激を受けています。
昔の知人をネット上で見つけるとか、それだけで単純に嬉しい事なんですけれども、
何年か前の自分だったら、昔のクラスメイトとか見つけても見つけただけで終わりだったでしょうね。
健康な頃の自分を知っている人には、相手が自分に関心があろうと無かろうと、
病気の事とかこういう事書いてるのを知られるのは嫌でした。
あ、実生活とキャラが違うとかそういう事じゃないですよ。
こういう話含め、自分の話は苦手なのであまりしませんが。
mixiの影響でもありますが、そのへんに抵抗を感じなくなったのは、数少ない自分で解る成長ですかね。
10年以上経つんだからいい加減慣れただけかもしれませんけど。
10代の頃の話になります。
周りの人達と同じ速さで歩く事が出来なくなって、どんどん発病当時の友人とも疎遠になって。
だからなおさら、健康な頃の思い出にしがみついて支えにしていたし、
かつての自分を(自分の中で)壊したくないから、かつての自分を知る人にはなおさらこんな事話したりできなかったのですよね。
中学時代から今でも頻繁に会う友人達も例外ではなく。
滑稽というか、馬鹿ですよねぇ。
今の自分もまだまだ面と向かってこういう話をする事は出来ないでしょう。
書くのもちょっと怖いですしね。びびりです。へたれです。
相手に突っ込まれたところで、自ら茶化したりして逃げちゃうと思います。
シリアスムードに弱いです。
ただ、昔はただ嫌だという感情からの行動だったかもしれませんが、
今の自分には嬉しさを含んだ照れみたいなものだと思います。
自分に関心をもってもらえるのは素直に喜ばないとですよね。
でもまぁあまりいじめないでやってください。
今回の曲:夜な夜な夜な/倉橋ヨエコ
今日は予定通り磔磔にてGO!GO!7188を見てきました。
風邪の諸症状は治まったけど結局熱だけは下がらず。
でもユウ真正面3列目くらいをキープして頑張ってきました。
距離3mくらいだし目線の高さ一緒だしで、頑張った甲斐はありましたよ。
レポはまたおいおい。
昨年も一昨年も熱出したままライブ行ったっけ。懲りないなぁ。
で、なまじ気持ちが高揚しているので、止しておけば良いのに一旦帰宅してから友人とふらふら。
帰宅してから寒気とともに猛省中。
先週末も今はやっちゃいけないと思いつつもリハビリトレーニング開始しちゃったんですよね。
やってから、やっぱりまだやるべきじゃなかったなぁとか。
何を焦っているのか俺。
追い詰められているというより、最近はむしろ良い事が結構あったのですよ。
いや、だからなのかなぁ。
高まるテンションを自制出来ていないし、勢いで今の状態脱したいと図に乗ってたかも。
最近日記の更新頻度高いのもそういう事の表れかもしれませんな。
今一度、自分が確実に手にしている幸せを認識しないとですね。
反省は今夜でしっかりして(テーマ曲は勿論『夜な夜な夜な』)、
明日からは普段の調子で仕切りなおしです。
あんまり書くとどんどん凹みだすので。
次回は最近結構あった良い事っていうのでも書きますか。
ネタに出来そうならですけど。
あ、でもライブに行ったところまでは後悔してませんよ。
楽しかった事は、それはそれで良しなのです。
このあたりのお調子者なところは一生治りそうにありません。
今回の曲:感謝的生活/倉橋ヨエコ
こういう事を続けてきて、色々なお言葉を頂く機会がありますが、その一つ一つに本当に感謝しています。何度も書いてますけど、誰かのためにとか調子こいた事を考えていても、
実際のところ自分が一番元気もらってるんじゃないかと。
辞めようと思った事は別にないけれど、続けていて本当に良かったなぁと事あるごとに思えます。
本当に素直に言えます。ありがとうございます。
素直じゃないありがとうって何よ?ツンデレ?
というわけで、普通な誰にでもありがちな話をします。
いつだったか、カラオケで曲目を眺めていた時の事。
じっと一点を見ていた自分に気付いた、隣に居た方が声をかけてきました。
「モーガン君、何をじっと見てるん?」
「この曲(少し古めだけど有名な曲)、思い出せそうで思い出せなくて気持ち悪くて」
「おぉおぉ、これか。僕ばっちり知ってるから歌ってあげるわ」
「あ、ほんまですか。じゃあお願いします。」
その方は見事歌ってくれました・・・完全オリジナル作曲で。
テンポもリズムもおかしいし、なんだか歌詞も曲に乗り切れてない気がしますよ。
なまじ歌が上手いだけに可笑しくて仕方なかったんですが、皆曲自体知らないのか平然としてるし。
曲自体はあまりの違和感に一周回って思い出せました。
そして思い出せた事を、頷いたりしながら納得した感じを出していたんです。
するとその様子を知った彼からもう一本のマイクを差し出されました。
彼の目が言っています。
「ヘイ!俺についてこいよ!ユアベストパートナー!セン○ュリー21!(やたら流暢に)」
さすがに嘘です、そんなキャラじゃなかったです。真面目な方です。
それは要するに、彼のオリジナル作曲についていかなければいけない、という事ですか。
他の人間も曲を誰も知らないようなので、ここであえて普通に歌う事をしなければ、この方の名誉は全く傷つかないはず。
仕方ないので雰囲気でついていきつつ括弧部分とか歌います。
途中で聴いていたうちの一人がむせました。
お前この曲知っていたんだな、と哀しい気分になりました。
奇妙な時間が終わり、その方には「すっきり思い出せました。ありがとうございます。」とお礼を告げました。
生まれて初めて素直じゃないありがとうを言った夜、涙で枕を濡らしました。
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